あい My みぃ++ AKB48峯岸みなみだけを見ていたはずだったにも関わらず

AKB48の峯岸みなみさんを中心にチーム8もはじめました←

ウーロン茶世代こそAKB48


■ウーロン茶世代こそAKB48
昨日は久々に仕事で少し余裕があったので社内でサボって情報収集という名のネットサーフィンをしていました。もうネットサーフィンも死語だけどw

その中で秋元康おじさんのコラムのコラムを読んでおりました。年始のAERA掲載のものでしょうか。


大学も、どうしてもこの大学に入りたい、という執着はない。ほとんどが単願ではなくなっただろう。偏差値で自分のクラスターを見極め、その中でできれば一番いいところに入りたい、と思うだけだ。

 僕はそうした世代を「ウーロン茶世代」と呼んでいる。飲みに行っても、カラオケでも「とりあえずウーロン茶」。何か飲みたいものがあるわけでもない。ウーロン茶を飲みたいわけでもない。何が飲みたいのかわからないときに頼むウーロン茶。普通に無難に暮らせていればいい、という思考がはびこっている。

 個が閉鎖している、と思う。集団や組織、仲間の中にいれば、見栄を張りたい。でも、いまは社会全体が引きこもっている。日本の外に、部屋の外に、もっと面白いことがあるということに気づかない。



一番大事だと思ったのは3番目の節なのですが、
「個が閉鎖している、と思う。集団や組織、仲間の中にいれば、見栄を張りたい。」
「でも、いまは社会全体が引きこもっている。日本の外に、部屋の外に、もっと面白いことがあるということに気づかない。」

48Gでも完全に当て嵌まると思ってはっとした。
集団や仲間の中にいればやれセンターだ、選挙だ、選抜だ、序列だと見栄を張りたい。かといって自分を正面から売るほどの猛烈にやりたい何かがあるわけではない。

48G自体も引き籠もっている。有吉おじさんは「AKB村」と良いあだ名を付けてくれましたが、その村社会での出来事に終始している気がする。
48Gの外にもっと面白いこともあるのだろうけれども。。。

と、秋元おじさんのコラムを引用すればこういう解釈になるけれども、同時に48Gの外に出ることの困難さ(日本の外に出ることの困難さ)や、その成功の少なさについては書いていない。

今の48Gの根本の微妙さ加減というのは「アイドルをもう一度作る」だかの48Gのコンセプトそのものを体現しているのではなく、むしろ48Gそのものが「ウーロン茶化」してしまっているからだろう。

とりあえず48Gの中にいれば何とかなる。その中では見栄を張りたい。かといってリスクを負ってまで外に出たいとは思わない。
悪意はないのですが、入山や川栄の立ち位置はまさにここにあるような気がする。彼女らはテストそのものはともかくとして(入山はそれも良いけど)、生き抜く力の面では頭が良いんだろうなぁ。

「寄らば大樹」を求めて彷徨う世界ではないけれども、大企業に入り終身雇用的世界に安定を求めながら個を滅却して生きる。なんとなくそんな印象を受ける。

メンバーもヲタクも多分運営もいつしかベンチャーの気質ではなく、大企業的な気質になってしまったのだろう。
企業名を挙げて恐縮ではあるがSONYに似ている気がする。
気取っているだけ。ガワだけと言う点で。

カルピスを作っている気でいたら、いつの間にかウーロン茶が出来てしまっていたという9年目か。
ウーロン茶も割ったり、ホットにしたり使い回しが利くんですけどね。

そんなコモディティー化した部品群AKB48の中でも多少は面白いかと思っていたチーム4も少しずつ勢いが落ちていると思っている。
もしかしたら、カルピスをウーロン茶に化かす錬金術←を今目撃しているのかもしれないのだ(笑)

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